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いちこの週刊爆心地

「遅いな~、王子様。8年早く着きすぎちゃったかな~?」

キッチン 桜井みかげは「しあわせ」なのか

※この文章ははるか昔に書いたもので、吉本ばなな「キッチン」を読んだ方向けの文章です。

今見ると日本語が結構おかしくて誤字脱字パラダイスで引用が長すぎて読む気にならない。

 

 

「キッチン」吉本ばなな

初出 一九八八年一月 福武書店

   二〇〇三年七月 新潮文庫

 

【研究テーマ】

このテクストは、主人公・桜井みかげが祖母や恋人を失い、雄一とえり子の田辺家の二人に出会うことで立ち直る物語のように思えるが、ほんとうにそうであるか分からなかったため。

 

【テーマ設定の理由】

『ここにだって、いつまでもいられない――雑誌に目を戻して私は思う。ちょっとくらっとするくらいつらいけれど、それは確かなことだ。』(P60 15~16行目)とみかげは言っており、田辺家が立ち直りの終着点であるならば、夢のキッチン(P61)をいくつも持ったり、出て行く必要性はない。みかげは出て行く必要やそうせねばならない理由があったのではないか、とこのテーマを設定した。

 

 

 

【論証一】

 私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事を作る場所であれば私はつらくない。(P9 1~3行目)
 私と台所が残る。自分しかいないと思っているよりは、ほんの少しましな思想だと思う。」(P9 10行目)
 田辺家に拾われる前は、毎日台所で眠っていた。(P10 2行目)
 冷蔵庫のぶーんという音が、私を孤独な思考から守った。そこでは、結構安らかに長い夜が行き、朝が来てくれた。ただ星の下で眠りたかった。朝の光で目覚めたかった。それ以外のことは、すべてただ淡々と過ぎていった。(P10 14行目~P11 1~3行目)
 次住む所を見つけるまで、ここで眠らして下さい。(P30 5~6行目)
 切り花が好きだった祖母は、いつも台所に花を絶やさなかったので、週に二回くらいは花屋に通っていた。そういえば、一度彼は大きな鉢植えを抱えて祖母のうしろを歩いて家に来たこともあった気がした。(P14 5~8行目)
『草花の呼吸を聞いて、カーテンの向こうの夜景を感じながら、いつもすっと眠れた。(P32 11行目)

 

 みかげの好きな場所は台所である。何故好きなのかというと、食事を作るという台所自身の本来の役割と、安らいで眠ることができるということが分かる。夜安心して眠れる、そして朝安心して起きれるというのは、日常だからである。すなわち、みかげにとって、好きな場所とは、1、食事を作る場所であること、2、安心して眠れる場所である。草花が近くにあれば、なおさら安心できる。

 

 私、桜井みかげの両親は、そろって若死にしている。そこで、祖父母が私を育ててくれた。中学校へ上がる頃、祖父が死んだ。そして祖母と二人でずっとやってきたのだ。(P10)
 年寄りと二人で暮らすというのは、ひどく不安なことだ。元気であればあるほどそうだった。実際に祖母といた時、そんなことは考えたこともなく楽しくやっていたけれど、今振り返るとそう思えてならなかった。私は、いつもいつでも「おばあちゃんが死ぬのが」こわかった。(P30 10~13行目)
 どんなに夢中な恋をしていても、どんなに夢中な恋をしていても、どんなに多くお酒を飲んで楽しく酔っぱらっていても、埋められない空間があることを、私は誰にも教えられなくてもずいぶん早くに感じ取った。部屋のすみに息づき、押してくるそのぞっとするような静けさ、子供と年寄りどんなに陽気に暮らしていても、埋められない空間があることを、私は誰にも教えられなくてもずいぶん早くに感じとった。(P31 4~8行目)


 みかげの家族は今となっては、祖母一人だけだが、以前は父親と母親、祖父母とみかげの5人家族だったことがわかる。この5人が、みかげにとっての最初の「家族」の形であり、それが両親を亡くしたことによって壊れ、新しく形作った祖父母と自分、という「家族」の形も祖父を亡くしたことによって壊され、ずっと居なくなることを恐れた祖母と作った二人だけの「家族」の形さえも壊れてしまう。

 

 ゆきちゃんはだだをこね続けた。ガキ。私もまた疲れていたため思わず汚い言葉で思ってしまった。後悔は先に立たねえんだ。おばあちゃんにそんな口をきくなよ。(P49 2~4行目)
 いいなあ。私は思った。おばあさんの言葉があまりにやさしげで、笑ったその子があんまり急にかわいく見えて、私はうらやましかった。私には二度とない……。私は二度とという言葉の持つ語感のおセンチさやこれからのことを限定する感じがあんまり好きじゃない。でも、その時思いついた「二度と」のものすごい重さや暗さは忘れがたい迫力があった。(P49 9~14行目)
 こんなに泣いたのは生まれて初めてだった。(P50 8~9行目)
 しんと暗く、なにも息づいていない。見慣れていたはずのすべてのものが、まるでそっぽを向いているではないですか。私は、ただいまと言うよりはおじゃましますと告げて抜き足で入りたくなる。祖母が死んで、この家の時間も死んだ。私はリアルにそう感じた。もう、私にはなにもできない。出ていっちゃうことの他にはなにひとつ――(P33 3~9行目)


 後悔は先にたたない、とみかげは言っている。この後悔は、ゆきちゃんのようにもう二度と会えない祖母と母親がいる「家族」の形はみかげには作れず、またゆきちゃんもいつかは自分と同じく、時間の流れには逆らえずに一人になってしまう。自分とゆきちゃんを重ねてはじめて自分の身に起こった出来事を理解して深く悲しむのである。幾度と無く作った「家族」の形を壊され、ついには一人ぼっちになってしまう。家という空間も、家単独では成り立たずに、家族の存在があってはじめて家となり、安心して眠れる場所となるのである。みかげは自分の家族が少しずつ消え、二度と同じ形で元には戻れない、家族と家を失う恐怖と、それによってもたらたされる孤独を味わうのである。

 

 ほとんど初めての家で、今まであまり会ったことのない人と向かい合っていたら、なんだかすごく天涯孤独な気持ちになった。雨に覆われた夜景が闇ににじんでゆく大きいガラス、に映る自分と目が合う。世の中に、この私に近い血の者はいないし、どこへ行ってなにをするのも可能だなんてとても豪快だった。こんなに世界がぐんと広くて、闇はこんなにも暗くて、その果てしない面白さと淋しさに私は最近初めてこの手でこの目で触れたのだ。今まで、片目をつぶって世の中を見てたんだわ、と私は、思う。(P17 8~15行目)
 本当に暗く淋しいこの山道の中で、自分も輝くことだけがたったひとつ、やれることだと知ったのは、いくつの時だろうか。愛されて育ったのに、いつも淋しかった。――いつか必ず、誰もが時の闇の中へちりぢりになって消えていってしまう。(P31 10~13行目)


 今まで、みかげは祖母のために、自分が元気でいることを半強制的に強いられていた。家族に守られる地位にある子どもは自分が元気でいることで親を安心させようとするが、等しく時間は過ぎて行き自分が元気であればあるほど、自分より年齢が上の家族は居なくなっていく。深い孤独を感じる反面、みかげは家族が失ったことによって解放感を感じている。それは、家族のために元気でいることから解放され、家族に守られずに自分ひとりで独り立ちし、世界を見つめなおすこと機会を得たのである。

 

【論証二】

 その笑顔に安心した。本当に気のおけない相手との午後のお茶は、いいものだなあ、と思う。私は彼の寝ぞうがむちゃくちゃに悪いのを知っているし、コーヒーにミルクも砂糖もたくさん入れることや、くせ毛を直したくてドライヤーをかけるばかみたいにまじめな鏡の中の顔も知っている。そして、彼と本当に親しくしていた頃だったら、今頃私は冷蔵庫みがきでずいぶんはげた右手のマニキュアが気になっちゃって話にならないと思う。(P35 10~15行目)
 宗太郎は公園が大好きな人だった。緑のある所が、開けた景色が、野外が、とにかく好きで大学でも彼は中庭やグラウンドのわきのベンチによくいた。(P34 9~11行目)

 

 みかげは宗太郎の寝ぞうを知っており、本当に気の置けない相手。と語っている。また、緑が好きな宗太郎と一緒にいれば、自分も植物の近くに居ることができる。この事から宗太郎はみかげにとって宗太郎の隣は安心できる場所である。

 

 さっき、宗太郎は言っていた。田辺の彼女は一年間つきあっても田辺のことがさっぱりわかんなくていやになったんだって。田辺は女の子を万年筆とかと同じようにしか気に入ることができないのよって言ってる。私は雄一に恋していないので、よくわかる。彼にとっての万年筆と彼女にとってと、全然質や重みが違ったのだ。世の中には万年筆を死ぬほど愛している人だっているかもしれない。そこが、とっても悲しい。恋さえしていなければ、わかることなのだ。(P42 16行目~P43 4行目)
 「あまり会わないし。……話も特別しないし。私、犬のように拾われただけ。別に、好かれてるんでもないしね。それに、彼のことはなにも知らないし。そんなもめごともマヌケなまでに全然、気づかなかったし。」「でも、君の好きとか愛とかも、俺にはよくわかんなかったからなぁ。」(P37 3~9行目)


 田辺雄一もみかげも元恋人に自分の想いを気づかれない人間である。そもそも台所が好きなみかげと緑のある場所が好きな宗太郎のように人の好みが様々に違うように、人には人の愛を伝える形があるのだ。一般的な愛され方で愛して欲しい宗太郎と雄一の元彼女のほうが世間には多く、パートナーがそれに当てはまらない愛し方をすれば、それが愛だと理解するのは難しいかもしれない。愛の形は人それぞれ違うのだ。雄一に恋をしていないので雄一の元彼女への気持ちがわかるという。みかげが家族が居なくなってから、もう戻ることは無い家族の大切さに気づくように、当事者達には相手の愛が100パーセントは伝わらず、当事者以外しかその愛に気づけないので、恋人への愛は恋人でいる間は絶対に自分が発したい重さで相手には伝わらないのである。家族も恋人も想い合っているときには気づかない愛があるのだ。

 

 彼は昔の……恋人だった。祖母の病気が悪くなる頃、別れた。(P33 11~12行目)
 「いや、学校に来てないから、どうしたのかと思って聞いてまわってさ、そうしたらおばあちゃん亡くなったっていうだろ。びっくりしてさ。……大変だったね。」(P34 1~2行目)
 「今、君さ。」世間話の途中で、ふいに思い出したように宗太郎が言った。「田辺んとこにいるんだって?」(P35 16~17行目)
 「そうらしいよ。だって君たち今、うまくいってるんでしょう。俺、そう聞いたけど。(P36 11行目)
 『「ええっ! うそだろーっ」(P36 16行目)
 「田辺って。」彼は言った。「変わってるんだってね。」(P37 2行目)

 

 宗太郎は、電話ではみかげの祖母が亡くなったことを知らなかった。ということは、具合が悪くなったことを知らなかったのである。、具合が悪くなるころに別れたにしても、宗太郎ならみかげを支えようとするだろう。みかげはわざわざ言わなかったのである。また、みかげが、変わっていると噂の雄一と住んでると聞いていたので心配していたが、その母親と住んでいて同棲ではないと知って驚いているのである。

 

 「とにかく、よかったと思うよ。いつまで引き取られているの?」「わかんない。」「ちゃんと、考えなさいね。」彼は笑い、「はい、心がけます。」私は答えた。(P37 10~13行目)
 この子だったらきっと――私は横顔を見ながら考えた。きっと、ばりばり私を引っぱり回して新しいアパートを決めさせたり、学校へ引っぱり出したりしたんだろう。それ、その健全さがとても好きで、あこがれで、それにとってもついていけない自分をいやになりそうだったのだ。昔は。彼は大家族の長男で、彼が家からなんの気なしに持ってくるなにか明るいものが、私をとてもあたためたのだ。(P38 8~9行目)
 彼に会うといつもそうだった。自分が自分であることがもの悲しくなるのだ。(P38 12行目)
 『「お久しぶりね!なのに元気よく私が言った、これはもう照れとか見栄を超えた、ひとつの病と思われた。」(P33 16~17行目)


 宗太郎は、大家族の長男であり、みかげとは家族構成が違う。すなわち、父親や母親が死んだとしても、自分の下の兄弟がいるので独りぼっちにはならない。独りぼっちになることをおびえて頑張って生きようとするみかげと、それを感じない宗太郎とでは自分の中の家族の比重が違うが、それを理解するのは宗太郎にとって難しいだろう。家族を失うことについて、おびえることのない宗太郎のあたたかさや健全さにみかげは癒されもするが、自分と宗太郎の価値観の違いがあって無理して明るく振舞ったりしなければならず、ある種の劣等感を抱えていた。

 

 私の瞳を通して、胸の深いところにある熱い塊が彼に澄んだ質問をする。まだいまのうちは、私に心が残っているかい?「しっかり生きろよ。」彼は笑い、細めた瞳にはまっすぐ答えが宿っている。「はい、心がけます。」私は答え、手を振って別れた。そしてこの気持ちはこのまま、どこか果てしなく遠いところへと消えていくのだ。(P38 14~P39 3行目)
 「あまり会わないし。……話も特別しないし。私、犬のように拾われただけ。別に、好かれてるんでもないしね。それに、彼のことはなにも知らないし。そんなもめごともマヌケなまでに全然、気づかなかったし。」(P37 3~7行目)
 「ええっ! うそだろーっ」宗太郎は大声で言った。彼のこの陽気な素直さを私は昔、本気で愛していたが、今はうるさいのですごく恥ずかしいだけだった。(P36 16行目~P37 1行目)


 このみかげの瞳を通して行われた質問の、宗太郎の答えはイエスなのではないか。二人ともまだ好きだったけれど、価値観の違いは愛では覆せない。宗太郎はみかげの雄一について語る場面を見て、当事者じゃないのでみかげの雄一の気持ちに気づく。宗太郎もみかげも相手が好きだが、宗太郎はみかげが新しく雄一を好きになったのを知って、またみかげは自分が宗太郎の陽気な素直さや、明るいものや、健全さを恋人同士でなくなってから、マイナス面を含めて再評価している、好きであったとしても幾度と無く無理をせねばならず傷つくことを恐れて別れるのである。みかげは、家族も恋人も、その大切さやいいところは本当に思い合っていても、時間や環境によってすれ違い、近くにいるほど正確な重みで伝わらないのである。

 

【論証三】

 彼は、長い手足を持った、きれいな顔だちの青年だった。素性はなにも知らなかったが、よく、ものすごい熱心に花屋で働いているのを見かけた気もする。ほんの少し知った後でも彼のその、どうしてか“冷たい”印象は変わらなかった。ふるまいや口調がどんなにやさしくても彼は、ひとりで生きている感じがした。つまり彼はその程度の知り合いにすぎない、赤の他人だったのだ。」(P14 9~13行目)
 雄一もそうだと思う。本当に暗く淋しいこの山道の中で、自分も輝くことだけがたったひとつ、やれることだと知ったのは、いくつの時だろうか。愛されて育ったのに、いつも淋しかった。――いつか必ず、誰もが時の闇の中へちりぢりになって消えていってしまう。そのことを体にしみ込ませた目をして歩いている。(P31 9~14行目)
 私は、祖母の葬式までほとんど彼を知らなかった。葬式の日、突然田辺雄一がやってきた時、本気で祖母の愛人だったのかと思った。焼香しながら彼は、泣きはらした瞳を閉じて手をふるわせ、祖母の遺影を見ると、またぽろぽろと涙をこぼした。私はそれを見ていたら、自分の祖母への愛がこの人よりも少ないのでは、と思わず考えてしまった。そのくらい彼は悲しそうに見えた。(P13 9~13行目)
 「のんちゃんが死んじゃった時、雄一はごはんものどを通らなかったのよ。だから、あなたのことも人ごととは思えないのね。男女の愛かどうかは保障できないけど。」(P28 13~14行目)
 「あの子ね、かかりっきりで育ててないからいろいろ手落ちがあるのよ。」「手落ち?」私は笑った。「そう。」お母さんらしいほほえみで彼女は言った。「情緒はめちゃくちゃだし、人間関係にも妙にクールでね、いろいろとちゃんとしてないけど……やさしい子にしたくてね、そこだけは必死に育てたの。あの子は、やさしい子なのよ。」「ええ、わかります。」(P29 3~9行目)
 「ぼくだって、えり子さんみたいに思いつきで生きてるって君は思っているらしいけど、君をうちに呼ぶのは、ちゃんと考えて決めたことだから。おばあちゃんはいつも、君の心配してたし、君の気持ちがいちばんわかるのは多分、ぼくだろう。でも、君はちゃんと元気に、本当の元気を取り戻せばぼくらが止めたって、出ていける人だって知ってる。けど君、今は無理だろう。無理っていうことを伝えてやる身寄りがいないから、ぼくがかわりに見てたんだ。」(P53 9~14行目)
 彼のそういう態度の決してひどくあたたかくも冷たくもないことは、今の私をとてもあたためるように思えた。なぜだか、泣けるくらいに心にしみるものがあった。(P18 9~10行目)


 田辺雄一は父親であるところの母親・えり子と二人で暮らしている。すなわち、みかげと家庭環境が残された家族が一人、という点で似ている。二人は唯一残された家族を失うことを恐れ暮らし、雄一は特に死に敏感である。宗太郎さえも知らない葬式の日に雄一が突然来たのは、ずっとみかげのことを見ていたからだろう。それは、みかげの祖母に頼まれていたからだと思われる。祖母の話を聞いた雄一はみかげが自分と同じ、残された家族がたった一人だと知っており、祖母が死んだと聞いたときに、みかげより悲しくしているように思えたのは、祖母が死んだことと自分と同じ境遇のみかげの気持ちがより分かったからである。

 

 「おっと、あんまり大声で歌うと、となりで寝てるおばあちゃんが起きちゃう。」言ってから、しまったと思った。雄一ももっとそう思ったらしく、後ろ姿で床をみがく手が完全に止まった。そして、振り向いてちょっと困った目をした。私はとほうにくれて、笑ってごまかした。えり子さんがやさしく育てたその息子は、こういう時、とっさに王子になる。彼は言った。「ここが片づいたら、家に帰る途中、公園で屋台のラーメン食べような。」(P55 11行目~P56 2行目)
 私は今、彼に触れた、と思った。一ヶ月近く同じ所に住んでいて、初めて彼に触れた。ことによると、いつか好きになってしまうかもしれない。と私は思った。恋をすると、いつもダッシュで駆け抜けてゆくのが私のやり方だったが、曇った空からかいま見える星のように、今みたいな会話の度に、少しずつ好きになるかもしれない。でも――私は手を動かしながら考えた。でも、ここを出なくては。(P43 11~15行目)


 子どもとして独りぼっちを恐れる気持ちを分かり合える雄一はみかげにとって、数少ない人だ。しかし、頑なにみかげは出なくては。と言っているのは、こんなに気持ちが分かり合えたとしても、恋人同士になれば、その想いは正確な重みで伝わらないかもしれない。みかげはダッシュで駆け抜けてゆくことも出来ず、少しずつ好きになることも許されずに出なくては、とひとり決意するのである。

 

 「しかもさあ、わかった?」本当におかしくてたまらなさおうに彼は続けた。「あの人、男なんだよ。」(P21 5~6行目)
 私がうなずくと彼は自分のカバンをすわったままずるずるたぐり寄せた、札入れの中から古い写真を出して私に手渡した。(P22 8~9行目)
 さっきのえり子さんはね、この写真の母の家に小さい頃、なにかの事情で引き取られて、ずっと一緒に育ったそうだ。(P22 14~15行目)
 この母が死んじゃった後、えり子さんは仕事を辞めて、まだ小さなぼくを抱えてなにをしようか考えて、女になることに決めたんだって。もう、誰も好きになりそうにないからってさ。女になる前はすごい無口な人だったらしいよ。半端なことが嫌いだから、顔からなにからもうみんな手術しちゃってさ、残りの金でその筋の店をひとつ持ってさ、ぼくを育ててくれたんだ。女手ひとつでっていうの? これも。(P23 2~6行目)
 となりに人がいては淋しさが増すからいけない。でも、台所があり、植物がいて、同じ屋根の下には人がいて、静かで……ベストだった。ここは、ベストだ。安心して私は眠った。(P25 16行目~P26 3行目)
 よくね、こういうこと言って本当は違うこと考えてる人たくさんいるけど、本当に好きなだけここにいてね。あなたがいい子だって信じてるから、あたしは心から嬉しいのよ。行く所がないのは、傷ついてる時にはきついことよ。どうか、安心して利用してちょうだい。ね?(P29 17行目~P30 3行目)
 「利用してくれ。あせるな。」(P53 16行目)

 

 えり子も引き取られたということは、家族が近くには血の繋がった家族はおらず、自分の愛した相手も死んでいる。いまや、唯一残ったのは雄一だけである。えり子は雄一のために女になって、母親になったのではないだろうか。しかし、雄一はみかげにえり子は母親と紹介しているが、すぐ父親であることを明かし、どう呼べばよいのか困っている。すなわち未だに母親とは受け入れられていない。それは「えり子さん」と呼んでいることからも、雄一にとってえり子は父親とも母親ともつかない存在で、雄一は父親も母親も喪失し、「えり子」と新しく家族になっている形なのだ。この点において、両親を幼くして失っているみかげと共通するのである。両親を失う苦しみを分かり、唯一の家族を失うことを恐れる二人と、台所と植物が近くにあって、人とほどよい距離を保てる田辺家はみかげにとって絶好の場所なのである。

 

【論証四】

 「そのソファは心地良かった。一度かけると、もう二度と立ち上がれないくらいに柔らかくて深くて広かった。「あなたのお母さんさ。」さっき私は言った。「家具の所でこれにちょっとすわってみたら、どうしてもほしくなって買っちゃったんじゃない?」「大当たり。」彼は言った。「あの人って、思いつきだけで生きてるからね。それを実現する力があるのが、すごいなと思うんだけど。」「そうよね。」(P24 5~12行目)
 「だから、そのソファは、当分君のものだよ。君のベットだよ。」彼は言った。「使い道があって本当に良かった。」(P24 14~15行目)
 テーブルがないもので、床に直接いろんなものを置いて食べていた。コップが陽にすけて、冷たい日本茶のみどりが床にきれいに揺れた。(P28 2~3行目)
 どうしてこの部屋にこんなテーブルがあるのか、私にはわからない。その思いつきだけで生きているという、テーブルを買って彼女は今夜も店に出ている。(P41 14~15行目)
 「今から行くの! 聞いてよ。ジューサー買っちゃったあ。」紙袋から大きな箱を出してえり子さんが嬉しそうに言った。またか、と私は思った。「だから、置きにきたの。先に使ってもいいのよ。」「電話くれれば、取りに行ったのに。」(P44 7~10行目)
 「あっそうだ。ジューサーでジュースを作ろう! 君も飲むかい?」と言った。「うん。」雄一は冷蔵庫からグレープフルーツを出して、楽しそうにジューサーを箱から出した。私は、夜中の台所、すごい音で作られる二人分のジュースの音を聞きながらラーメンをゆでていた。(P58 10~14行目)


 思いつきで行動している、と雄一に言われるえり子だが、ソファはみかげが眠れるほど大きいもので、何人かで一緒に座ることを目的とした大きいソファである。みかげが来る前に購入されたソファなのだから、えり子は雄一と座るために買ったのである。しかし、雄一には理解されない。最初無かったテーブルが田辺家に置かれたのは料理を食べる雄一とみかげのためだろう。ジューサーもバイトで忙しくしている雄一と家族を失って傷ついているみかげのために栄養価のあるジュースを作れるジューサーを買ったのだ。

 

 月明かりの影 こわさぬように 岬のはずれにボートをとめた(P54 7~8行目)
 遠くの灯台 まわる光が 二人の夜には 木もれ日みたい……(P55 8~9行目)
 肩までのさらさらの髪、切れ長の瞳の深い輝き、形のよい唇、すっと高い鼻すじ――そして、その全体からかもしだされる生命力の揺れみたいな鮮やかな光――人間じゃないみたいだった。こんな人見たことない。(P19 2~5行目)
 彼であるところの彼女は、にこにこしていた。よくTVで観るNYのゲイたちの、あの気弱な笑顔に似てはいた。しかし、そう言ってしまうには彼女は強すぎた。あまりにも深い魅力が輝いて、彼女をここまで運んでしまった。それは死んだ妻にも息子にも本人にさえ止めることができなかった、そんな気がする。彼女には、そういうことが持つ、しんとした淋しさがしみ込んでいた。(P29 P11~15行目)
 ――よくよく見れば確かに歳相応のしわとか、少し悪い歯並びとか、ちゃんと人間らしい部分を感じた。それでも彼女は圧倒的だった。もう一回会いたいと思わせた。心の中にあたたかい光が残像みたいにそっと輝いて、これが魅力っていうものなんだわ、と私は感じていた。(P20 4~7行目)
 「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」(P59 15行目~P60 1行目)


 えり子について輝いてる・光という表記が多いこと、小説に引用される菊池桃子『二人のナイト・ダイヴ』の歌詞の、水の波で形をくずれてしまいそうな「月明かりの影」、「遠くの灯台」もえり子のことである。二人はそれを大切にしていることから、みかげもえり子を慕っていることがわかる。また、みかげには家族だったから気づかなかった魅力がみかげの祖母にはあったのではないか。それをみかげが雄一の母に感じるがごとく、雄一は感じていたのである。えり子は今までも自分の男の部分を捨てても、雄一の為に母親を容易したり、テーブルを用意したりした。みかげが来ることを拒まずに受け入れた裏には、雄一を頼みたいと思っていたのではないか。

 

【論証五】

 小さい頃から変わらない祖母の部屋で、たわいもない世間話とか、芸能界の話とか、その一日のことをなんとな話した。雄一のことも、この時間に語られたように思う。(P31 2~3行目)
 ものすごいことのようにも思えるし、なんてことのないようにも思えた。奇跡のようにも思えるし、あたりまえにも思えた。なんにせよ、言葉にしようとすると消えてしまう淡い感動を胸にしまう。先は長い。くりかえしくりかえしやってくる夜や朝の中では、いつかまたこのひと時も、夢になってゆくかもしれないのだから。(P58 15行目~P59 2行目)
 でも今、この実力派のお母さんと、あのやさしい目をした男の子と、私は同じ所にいる。それがすべてだ。(P61 3~4行目)
 ここにだって、いつまでもいられない――雑誌に目を戻して私は思う。ちょっとくらっとするくらいつらいけれど、それは確かなことだ。(P60 15~16行目)
 夢のキッチン。私はいくつもいくつもそれをもつだろう。心の中で、あるいは実際に。あるいは旅先で。ひとりで。大ぜいで、二人きりで、私の生きるすべての場所で、きっとたくさん持つだろう。(P61 7~10行目)
 愛すら、すべてを救ってくれない。(P60 3~4行目)


 みかげは祖母とケーキを食べながらしたたわいもない話は、雄一としたラーメンをゆでながらする会話に似ている。なんてことのないあたりまえの日常は言葉にしようとすると消えてしまう淡い感動の連続で、それ自体が奇跡なのだ。祖母との生活が終わってしまって、この奇跡の価値を知っているみかげはこの雄一達との生活が終わってしまうことを恐れている。たとえ家族になったとしても、時間の流れが等しく襲い掛かり、えり子を失うかもしれないし、たとえ雄一と恋人同士になったとしても、相手の気持ちが分からなくなってしまったりすれ違ってしまい、傷つくかもしれない。愛していたとしても、愛が訪れる悲しみを払ってくれるわけではない、全てを解決してくれるわけではないのだ。

 

【結論】

 みかげは早くに両親を失い、次に祖父を亡くしたため、祖母との二人暮らしである。順々に家族を失っていく恐怖を味わい、祖母を失うかもしれないという可能性におびえながら暮らしてきた。そして遂に祖母を失ったため、独りぼっちになるという恐怖、なんてことない感動の積み重ねによって成立していた奇跡を失う恐怖も覚える。
みかげは恋人の宗太郎とも別れているが、恋人同士でなくなったがゆえに、宗太郎の汚点が見えたり、ちゃんと見えていなかった宗太郎の素直さや明るさを再評価した。しかし、同時に家族を失うのを恐れるみかげは大家族である宗太郎の明るさや素直さに劣等感を抱き別れてしまう。みかげは恋人になるのも、相手の愛の形が違えば、愛しあっていたとしても容易にいかないことを知って深く傷つく。
 雄一とえり子はみかげとよく似た境遇の二人である。どちらも残された家族が一人であり、雄一は父親。雄司が母親・えり子になっていることで、両親を失っている点で、両親がいないみかげと共通する。えり子は自分が母親になることで、雄一に母親を用意したように、雄一をみかげに託そうと預かることを決意し、雄一はみかげの祖母からみかげを託すように言われていたのでみかげを預かる。みかげは二人のおかげで立ち直るが、二人と家族になったとしても、感動の積み重ねによって成立していた奇跡はいつか壊れ、雄一と恋人同士になったとしても、価値観の違いや恋人同士で正確に思いが伝わらないことで、別れることになるかもしれないという恐怖があり、出て行くことを自分に言い聞かせるのである。よって、みかげは家族や恋人を喪失する恐怖からいまだ立ち直れていない。

 

(☆自分で読んでも意味が分かりませんでした☆)