いちこの週刊爆心地

「遅いな~、王子様。8年早く着きすぎちゃったかな~?」

『プリキュアの敵になった大人(ぼく)たちへ』 Engage.01 「プリンセスの条件」

 

プリキュアの敵になってしまった大人(ぼく)たちへ」

 

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まほうつかいプリキュア」も終わったようですので、

ネタバレもありまくりで、

Go!プリンセスプリキュア」について、

思うがままに語っていきたいと思います。

 

公式の資料などにあたってないので、

公式様の見解と違う場合は申し訳ありません!

 

さて、プリンセスプリキュアは、

私にとって、ものすごいパワーを持った作品で、

胸も目頭もアツくなるような展開が目白押しでした。

 

素直に「いままでにないプリキュアらしさ」があって、

どのプリキュアも素敵だけど、

歴代のなかで、

 

「どれが名作だったか?」ではなく、

 

「好きだったか?」という問いになら、

 

プリンセスプリキュア」を挙げるなあ、と思うのです。

 

なぜならば、

これは、

僕たち、大人たちに向けられた作品だと感じたからです。

 

だって、

主人公のはるかが「プリンセスになりたい」って夢を語ったとき、

誰しもが少しは「え?プリンセス?」って思ったと思うんです。

 

それは、「プリンセスになる」という夢が、

おおよそ現代的な夢ではないという事も理由にありますが、

誰もが「プリンセスになんてなれるわけないだろう」と思うのです。

 

あれ?

これはアニメ内でもよく聞いたセリフですね?

 

もっと、身近な例に置き換えてみます。

 

「わたしはアイドルになりたい」

「そんなのなれるわけないだろう」

 

どうですか?

なんとなく、言いたいことが伝わったでしょうか?

 

たとえば、子どもがこういったとする。

 

「ぼくはメジャーリーガーになりたい」

 

そして誰かが、こう言うのです。

 

「そんなのなれるわけないでしょう」

 

そうです。

 

「そんなのなれるわけないだろう」

 

この言葉は、夢を絶望に変える言葉。

 

夢を絶望に変える言葉を無意識に言ってしまう、

僕たちとディスダークは、おなじなのでは?

 

そんな大人へのメッセージなのでは?

 

そう感じたから書き始めた、

このブログが誰かに届きますように。

 

プリキュアの敵になってしまった大人たちへ」

 

登場人物の情報が知りたい方はこちらを見ると良いかもしれません。

 

youtu.be

 

 

Engage.01 「プリンセスの条件」

 

 それでは、本題にはいっていきましょう。

 

ミス・シャムールが終盤、

はるかも含めみんなをグランプリンセスに認めました。

 

それはなぜでしょう?

 

はるかは、

作中で生まれも容姿も3人には劣っている、と描かれるわけです。

 

もちろん、それは事実として描かれながらも、

それを嘲笑したりする表現が、とても抑えられているのが、

アニメとして私の中でとても好印象でした。

 

元から、

みなみみたく大企業の娘として生まれたわけでも、

きららみたくモデルの娘として生まれたわけでも、

トワみたくプリンセスとして生まれたわけでもありません。

 

しかし、

彼女は自分の環境を恨まずに努力して学園に入り、

みなみと出会って勉学の大切さやバレエを学び、

きらりと出会ってファッションだけではなく、ショーに出るための度胸を得て、

とわと出会いプリンセスの優雅さを学びます。

 

そして、最初の方にプリンセスからは遠く離れていると称されていた彼女も、プリンセスレッスンを通していろいろなことができるようになります。

 

紅茶の淹れ方なんかは特に上達して、

最後はミス・シャムールを唸らせるほどでした。

 

彼女はその理由を

「レッスンが終わってからも、ずーっと練習してたの!」と語りました。

 

思い出してみると、

プリンセスプリキュアの口上は何だったでしょう。

 

「強く・優しく・美しく」です。

 

担当は、

「強く」がはるか、「優しく」がみなみ、「美しく」がきらりです。

 

そう、アニメを見た方なら、ご存知ですよね?

 

「優しく」「美しい」だけではグランプリンセスにはなれません、

「強い」ことも条件なのです。

 

もちろんみなみ、きららも強いのです。

出生や容姿というディスアドバンテージを乗り越えた

その強さがただ、パラメーターとして他の二人より強いということです。

 

そういえば、はるか自身も言っていました。

 

第47話で、はるかが花が美しい訳を語ったセリフです。

「違う……!これは花なんかじゃない。

 きれいに咲くから美しいんじゃない。

 花が美しいのは、土に根を張り、太陽の光に手を伸ばし、寒さに耐え、

 葉を広げ……、そうやって、いつか美しく花を咲かせようと頑張るから。

 自分の力で精一杯努力して……。

 はっ!? 自分の、力で……?」

 

はるかにとっては、夢=花のプリンセスになることなのですが、

ここではそれが夢=花に例えられ、

花が美しく咲くまでの努力を思って、

夢が叶うことにも努力が伴わないといけない、

「自分の力で精いっぱい努力すること」が大切だと述べています。

 

逆にとると、

見る側的に言えば花=夢なので、

じゃあ、「努力しないで夢が叶った人は存在を認められないのか?」

と思われる節もありますが、

最初に「これは花なんかじゃない」と言った時点では、

彼女としては花=花としての認識しかないわけです。

 

忘れられがちではありますが、

彼女はバラ園に咲くバラの種類を、

一目で見分けて名前を諳んじることができるほど、

花に精通し、花を愛していることを忘れてはいけません。

 

彼女の中では花にも意志を認めていて、

花に思いを寄せるうちに自分と重なっていくわけです。

そこで、自分の力で夢を叶えることが重要と気づくわけです。

 

花が美しいのは、努力して咲いたから。

私が夢を叶えたいのは、努力が必要だから。

 

なので、ここは、はるかの意識の移り変わりを読むべきだと思います。

 

もしくは、この後に続く、

 

「違う! 私の夢はこんなプリンセスじゃない!

 何の努力もしないで叶う夢なんて、夢じゃない!」

 

に掛かってくると考えて、

彼女の夢が「花のプリンセス」であることを考えれば、

この花は彼女の夢に限定され、

これは「私の叶えたい夢なんかじゃない!」と読むべきでしょう。

 

 だって、彼女は偽りの夢を出てから、力いっぱい叫びます。

 

「やれることは自分でやりたい!

 そのためにレッスンだってやってきた!

 それが私の夢に!本当のプリンセスにつながっているから!」

 

クローズも負けじと叫びます。

「そうだ、お前の夢なんて本当はどこにもない、

 終わりのない夢をお前は追い続けているんだ!」

 

はるかは、はっとして気付きます。

「終わりがない……。

 そう……、私の夢に終わりなんてないんだ!

 私の夢は大地に咲く花のように強く優しく美しくあること。

 たとえどんな苦しみや悲しみの中にあっても強く優しく美しくあること。

 それが、私がなりたいプリンセス!」

 

どんなに果てしない、誰かが聞いたら

「そんなの叶うわけないだろう」と思われる夢でも、

それに向かって努力することが大事と彼女は気付くわけです。

 

大事なのは、夢そのもの自体ではない。

この気付きは最終回のはるかを救います。

 

さて、端的には「夢よりも努力こそが大事」と言いましたが、

それを裏付ける根拠をもうひとつ書きたいと思います。

 

それは、第38話です。

youtu.be

こういうのは良くないとは思うのですが、

Youtubeにあがってたので、

もうキレイすぎて格好良いのでぜひみてください!

 

この回は、放映当時も作画の美しさから大変話題になりました。

ぜひ、その美しさでは書ききれないので、

動画を見て、感じて。

ロッドを渡すシーンとか最高に格好いい。

 

さて、第38話についてですが、

前話で仲間達が、

それぞれの夢のために、はるかの元を離れるという状況が生まれます。

そして、ディスダークのクローズは、

そこを突いてきます。

 

「夢があれば、お前の大事な人はお前より夢を優先する」

 

はるかはショックを受けるものの、なんとか一人で戦います。

そこで、ボロボロになった彼女を見て、

自分達が救おうとしている

ホープキングダムの王子・カナタが駆け寄ってこう言います。

 

「夢をもっていれば君は傷つく。

 プリンセスプリキュアとして、戦わなければならない。

 そんなことなら、夢なんて必要ない。

 夢なんて、持つな!」

 

カナタは記憶喪失になっていたというのもあり、

ボロボロになる彼女を気遣う優しさあってのことでもあったのでしょう。

 

しかしながら、自分の夢をいままで肯定してくれたカナタが

言った言葉のダメージは、はかりしれません。

 

でも、彼女は立ち上がりました。

そのときに、幼い自分に言った言葉が、

本当に彼女らしいと思うのです。

 

「ありがとう。あなたが夢見てくれたおかげで、

 わたし、こんなにもいま、幸せだよ。」

 

はるかは、くじけた時には絶対自分の力で起き上がります。

 

よくあるアニメの展開で、

くじけそうな時に、今までを思い出すって構造あるじゃないですか。

 

大抵、回想のなかでは、

仲間の話になって「みんなのために頑張らなきゃ!」とか、

世界の話になって「自分が諦めたら世界が危ない!」ってなるわけです。

でも、はるかはそうじゃない。

 

「自分で頑張ってきたよね!」って自分の軌跡を思い出すんです。

 

もちろん、それだけじゃないのがはるかのすごいところで、

 

「みんながいたから、立ち上がれるわたしがいるの!」と、

 

アニメのなかでも言っているように、

カナタや、みなみやきららやトワ、色々な人の助けを認めつつ、

彼女には自分で歩いてきたという自信があるわけです。

 

花は、

種をまくひとがいて、

海が運ぶ蒸気が雲になり雨を降らせ優しく地面を癒し、

星は芽吹く前の種にいつかそのうち輝く同士として見守り、

明るい太陽が目標のように誘い、

いつしか花は太陽にも負けないほどの大輪の花を咲かせます。

 

もちろんどれが欠けても、美しく咲くことは出来ません。

しかし、一番大切なのは花自身の咲こうとする命の力強さ、その意志です。

 

自然界では、花は自然に咲くといわれます。

でも、必ず地面に落ちた種が花を咲かせる訳ではありません。

遠くへ飛べるように進化した種や、

何者かの力を借りれるように進化した種がいます。

また、長い歴史の中で淘汰され、亡くなっていった種も存在するでしょう。

その時、必要なのは変わり続ける勇気、進化する心構えではないでしょうか。

 

はるかも一緒です。

カナタがいて、

ゆいがいて、

みなみがいて、

きららがいて、

トワがいる。

 

みんなの助けが無ければ出来ないことも沢山あったけれど、

1番は彼女が夢のために諦めずに努力、成長し変わり続けることができること。

だからこそ、美しく咲き誇ることができました。

そうです、彼女の魅力は変わり続ける「強さ」です。

その「強さ」は彼女自身が持ち合わせたものです。

 

それが彼女が強く持ちえた

「プリンセスの条件」でしょう。