いちこの週刊爆心地

「遅いな~、王子様。8年早く着きすぎちゃったかな~?」

水族館街 「季節はずれの海岸 人がいない浜辺に一人」

 

窓を開けると、大きな魚がゆらりと泳いでいた。

鱗が落ちそうなほど大きな目と目が合ったような気もするけれど、

毎朝のことだから魚もいつもどおりの巡回ルートに戻っていく。

 

今は10時くらいだろうか。

窓の向こうに広がった海の向こう側では、太陽が輝いている。

 

しばらく時計がない生活をしているので、

時間は毎日カンで決めていた。

 

「寒みぃな」

 

たぶん、ここに来たのは夏だったはずだが、

床に素足を触れさせるのは躊躇われるほどの寒さで、

つま先を丸めて台所に向かう。

 

台所の椅子に掛けていた厚手のカーディガンを羽織ると、

ポケットではメモ紙とペンが転がり出てきた。

 

「これ以上寒くなったら困るな」

 

ここにきてから時間を測る習慣もなければ、カレンダーもない。

日数だけでも数えておけばよかったかと後悔したが、

 もうすでに何日経ったかは定かではない。

 

「まぁなんか出所を待つ囚人みたいでいやだしな」

 

ずっとひとりぼっちだと独り言が多くなって困る。

温かいものでも飲もうとケトルに火を掛けて手をかざすと、

部屋が温まっていくのと同時に、そんな気持ちも癒されていく。

 

空調が利いた部屋の快適さも捨てがたいものだが、

凍えた手を火で温めると芯から温まる気がするのも、

心地の良さがある。

 

とりあえず温かいものを飲みたいとおもって、

お湯を沸かしたものの、何を淹れるか決めていなかったことを思い出す。

 

ダークオレンジのケトルから湯気が出始めたところで、

火を止めて、とりあえずいつもどおりコーヒーを淹れた。 

 

キッチンの窓の向こうにも、見渡す限りの海が広がっている。

 

と言っても海岸沿いのおしゃれな家なわけではない。

窓の向こうがそのまま海につながっているのだ。

 

この家の半分は海に包まれていて、

窓を開ければ水族館のようにきらびやかな魚が陽光を浴びて

躍るように泳いでいる姿を見ることができる。

 

どうして自分がこんな世界に来たかは分からない。

分かることは、ただこの不思議な世界の浜辺に一人、

冬が始まりそうなこの海にいることだけだ。