いちこの週刊爆心地

「遅いな~、王子様。8年早く着きすぎちゃったかな~?」

『プリキュアの敵になった大人(ぼく)たちへ』 Engage.03 「『夢』と『絶望』は表裏一体」

さて、もう1人。

プリンセスプリキュアを語る上で大切な人がいます。

トワと思った方にはごめんなさい。

カナタでもないのです。

 

プリンセスプリキュアのラスボスである、クローズです。

最終話ではなぜ、ディスピアではなくクローズと戦うことになったのでしょう?

突然のことにびっくりした人も多い気がします。

それがプリンセスプリキュアの本当に私がよくできてるなと思った部分です。

 

プリンセスプリキュア

プリキュアが「夢」

ディスダークが「絶望」

の対立を描いた作品です。

 

作品の流れを追っていくと、

ディスダークたちは色んな方法で

夢を絶望させ、諦めさせようとしてきます。

 

最初の頃こそ、

「主人公は夢を守る→相手方は絶望させる」

という単純な構造ですが、

 

次の段階になると、

「そもそも夢は叶わないのだから絶望」

それへの反論として

「夢は努力で叶えられる」を打ち砕くための

「努力したって叶うとは限らないから絶望」と

夢に関するさまざまなパターンの絶望を提示し、

諦めさせようとしてきます。

 

そして、プリキュアが打ち出した完璧とも思われる

夢に対しての考え方である

「叶わないときもあるし、変わるときもある、

 でも何度でも新しく造ることも出来る」

 

ディスダークの一人である、クローズはこう反論します。

 

夢は辛いよな、だって夢があればあるほど、辛い努力して

それでも叶わないって何度も思うんだから、

そのたびお前は絶望するだろう

だから、夢があるかぎり、絶望はなくならない

 

そして、プリキュアの反論は以下のものとなっており、

この流れは最終話の名シーンなのですが、

本当によくできた応酬だと感じるのです。

 

そうだね、絶望は無くならない。

楽しいことや嬉しいことが、辛いことと表裏一体なように

夢と絶望もウラオモテの関係なんだね。

夢も絶望もその両方が私を育ててくれた。

夢は絶望を含んでいるのかもしれない。

だって夢を追いかけるたび訪れる絶望は私を強くしてくれるから。

何度だって作りなおせるし、何度だって立ち上がることが出来る。

でも、夢も無くならない。

だから、絶望は無くならない。

 

そして、最後には、

 

「そうだ。これからも現れ続けるぜ。」

「乗り越えていくよ。時々は負けちゃう事だってあるけど。何度だって前を向ける。

 だって、私たちには」

「……夢があるから」

「夢だって、消せないよ。絶望がある限り、夢だって輝き続ける、

 いつまでも」

「……強く、優しく、美しく……か。消えてやるよ、今は、な」

 

 

 それを受けて、

「またな」

ごきげんよう

そう言って滅ぼすでも倒すでもなく、

ストーリー上の悪と設定された敵である

ディスダークと折り合いをつけたのです。

 

 ここからが本題です。

私が最後に言いたいのは、

クローズの「夢」についてです。

 

夢を守るプリンセスプリキュアの敵だから、

クローズには夢がないのが当たり前です。

 

それが、ふつうなら。

 

それであれば、プリンセスプリキュアはクローズを倒しておしまいです。

でも、はるかはクローズを倒そうとしなかった。

それは、どうしてでしょうか?

 

人々を絶望させる能力があると同時に、

そう、クローズにも夢があるんです。

 

人々を絶望させるという大きな夢があるんです。

 

プリキュアと一緒ですよね?

 

クローズは夢を持った人間を絶望させたいということが

自分の「夢」だと気付いてしまいます。

 

なぜなら自分も「絶望させたいという夢」を

プリキュアに邪魔されて「絶望」し、

そのたび努力して強くなるもプリキュアに邪魔されるという

プリキュアと同じ構図を歩んでいることが分かるからです。

 

「夢」と「絶望」は表裏一体。

「夢」は「努力」を肯定し、

「夢」は自分を強くしてくれる。

 

クローズ自身が気付いてしまうのです。

特にその気持ちを胸に手を当てられて

気付いたのかもしれません。

 

これをそのまま、明確に言えば、クローズは存在意義すら揺らいでしまいます。

それは、はるかが求めていた

「クローズとの話し合い」というカタチでもなくなってしまいます。

 

逆に言えば、はるかたちも「絶望」しなければ成長できなくなるのですから、

はるかたちにとっても「絶望」は必要なわけです。

 

だからこそ、

「またな」「ごきげんよう」になるのではないか。

敵を滅ぼさない、という結論になるのだと考えました。

 

そして、

最後の口上が変わります。

OPでは「強く優しく美しく真のプリンセスを目指す4人の物語」

となっていたところが、

「これははるかかなたへ走り続ける少女達の物語。」に変わります。

 

これは走り続けるかぎり夢は終わらないことを示唆しています。

諦めなければ絶望が襲ってきても大丈夫です。

 

 

「プリンセスなんてなれるわけないだろ」

作中では何度も匂わされるこのワードですが、

いつの間にか、はるかたちを応援している間に、

「なんでそんなこと言うんだ」という気持ちになっていきます。

 

これが、このアニメのひとつの狙いだったのかなあ、と

私は思います。

 

だって、一生懸命努力してるんだもん。

 

それは誰もが思い描くプリンセスではないかもしれない。

 

でも、それでもいいのです。

プリンセスは夢の代名詞。

 

自分のなりたいものは自分で決めることができる、

その夢を、努力を何人たりともあざ笑うことはできない。

 

絶望に押しつぶされそうになっても、

諦めないかぎり、あなたは大丈夫。

 

そんなメッセージが

「プリンセスになんかなれるわけないだろ」

そういって他人と自分を絶望の檻に囚われている

プリキュアの敵になってしまいそうな大人に向けられていたのかな。

 『プリキュアの敵になった大人(ぼく)たちへ』 Engage.02 「僕たちはプリキュアになれない」

プリンセスプリキュアを語るうえで

欠かすことのできない人物がいます。

 

それは七瀬ゆいの存在です。

 

メインキャラクターのひとりなので

アニメを見ていた方からは彼女の重要性、

そしてはるか達にとって大切な友人であることは

言及するまでもありませんが、

今回は別の視点から語っていきたいと思います。

 

さて、簡単にゆいのプロフィールの紹介から。

彼女はプリキュアではないけれど、

プリキュアとずっと一緒にいた

ごくごく普通な一般人です。

 

しかしながら、物語終盤に誰もが感嘆するような名言を残します。

 

 

「今まで夢を守ってもらってきたけど、それじゃだめだ。

 だって夢をかなえるのは自分なんだから。」

 「自分の夢だもん、叶えたいなら戦わなきゃ!助けてもらってばかりじゃダメだ!」

「一緒に戦おう!最後に夢を叶えるのは、自分だよ」

 

このアニメの特徴は、主人公だけではなく、

登場人物それぞれに夢があるのです。

 

主人公の敵方であるディスダークは、

その夢を叶えられないと絶望させることによって、

怪物に変えてしまいます。

 

七瀬ゆいの夢は「絵本作家になること」です。

その夢は何度かディスダークによって絶望させられ、

彼女は諦めようとしたこともありましたが、

何度もプリキュアに助けられて、

「自分にしか描けない物語」を書くことを

目標に努力を続けていました。

 

そして、終盤にプリキュアでしか破れないはずの

「絶望の檻」を破って、

同じく「絶望の檻」に囚われたみんなに語りかけます。

 

夢は鍵になるけれど、

扉を開けるのは自分の努力だよ。

 

上記のセリフを言ったときに、

みんなの胸に吸い込まれた砕かれたロッドのカケラは

それを気づかせてくれるための

きっかけでしかありません。

 

さて、プリンセスロッドは

なぜ砕かれることになったのでしょうか。

 

七瀬ゆいと同じく、

プリンセスロッドはずっと一緒に歩いてきた仲間でした。

 

このロッドがなければ、

プリキュアは技を使うこともできないため、

ピンチに陥ります。

 

そのピンチの状況を作り出したかったのでしょうか?

カケラがみんなに希望を与える展開を書きたかったのでしょうか?

 

きっと違うのではないかと考えています。

 

 

それではなぜ、あそこでプリンセスロッドが

壊れる必要があったのでしょうか。

 

それはきっと、プリキュアたちのことを伝えるのに

最適な役だったんだと思うんです。

 

僕たちはもう壊れてしまうけれど、

最後の力で、君たちがしてきたことがいかにすごいことか、みんなに伝えるね。

 

確かにきっとみんなが思っているように

「夢があれば努力できる」ってはるかたちみたく強くないよね。

 

僕たちはずっと見てきた。

 

はるかたちは強かった。とても。

でも、はるかたちは努力してきた。とても。

 

みんな、気づいて。

 

でもどんな夢だって、

そのためにした努力はみんなを強くしてくれる。

 

あ、

ゆいは気づいてくれた。

 

「今まで夢を守ってもらってきたけど、

 それじゃだめだ。だって夢をかなえるのは自分なんだから。」
「自分の夢だもん、叶えたいなら戦わなきゃ!助けてもらってばかりじゃダメだ!」

ゆい。

きみはすごく努力したよね。

この長いようで短い、戦いの中で

4回も敵に囚われて、それでも最後まで逃げようとはしなかったね。

最後は普通の人にはありえない、絶望の力に抵抗しようとしたよね。

 

そういえば、

僕のことを初めてプリキュアに伝えてくれたのは君だった。

 

あの時、あんなに強いプリキュアの夢の力でも、

ディスピアが作った絶望の檻は破れなかった。

 

君の強い夢の力を感じたよ。

プリキュアにも負けない強い、夢の力。

 

君がもし「私の夢も力になれないかな?」って言ってくれなかったら、

みんなを励まして、みんなの夢を応援しなかったら……。

 

ゆいがみんなのそばに居てくれて、

良かった。

 

ロッドはきっと僕達にも言ってくれる。

 

「きみは気づかなかった?

 朝早くした朝練も、夜更かしして描いた絵も、

 友達と切磋琢磨したゲームスキルも。

 ぜんぶ、君が努力と夢で扉を開け続けた未来だよ。」

 

「一緒に戦おう!最後に夢を叶えるのは、自分だよ」

 

ゆいの言ったセリフは、

もしかしてロッドの代弁でもあるのかもしれません。

 

そんなロッドの強い強い意志を感じました。

 

ううん、意志じゃない。

 

これもきっとこれは夢かもしれない。

 

プリキュアを守りたい、プリキュアの力になりたいという彼らの夢。

だから、自分が砕けてプリキュアに力を与えて欲しいという夢。

 

きっと、プリキュアを守るように

色んな人が立ちあがったとき、

きっとロッドは誇らしかったんじゃないかなあ。

 

「ねぇ、プリキュア

 見えるかい?

 これが、君たちが助けてきた夢の数だよ。」

 

 

七瀬ゆいは、確かに変身して、敵とは戦えない。

でも、はるか達は、ゆいをプリキュアの一人だと認めた。

 

僕たちも、プリキュアにはなれない。

でも、プリキュアに負けないぐらい、

キラキラ輝くことはできると思うんです。

 

それが七瀬ゆいというキャラクターが伝えたかった

「自分にしか描けない物語を描く」ということなんじゃないかなあ、

と思うのです。

ウキウキリベレーター

FF14に待望の大規模アップデート

「紅蓮のリベレーター」がきました!

 

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結構私にしては頑張ってSSを取ったので、

おともだちとのワクワク珍道中も含めて晒していきますね!

めんどくさいから、チャット欄隠しません! 

 

ネタバレもりもりなので、

隠しておきます・・・♡

 

続きを読む

『プリキュアの敵になった大人(ぼく)たちへ』 Engage.01 「プリンセスの条件」

 

プリキュアの敵になってしまった大人(ぼく)たちへ」

 

 f:id:wildfancier:20170213024732p:plain

 

まほうつかいプリキュア」も終わったようですので、

ネタバレもありまくりで、

Go!プリンセスプリキュア」について、

思うがままに語っていきたいと思います。

 

公式の資料などにあたってないので、

公式様の見解と違う場合は申し訳ありません!

 

さて、プリンセスプリキュアは、

私にとって、ものすごいパワーを持った作品で、

胸も目頭もアツくなるような展開が目白押しでした。

 

素直に「いままでにないプリキュアらしさ」があって、

どのプリキュアも素敵だけど、

歴代のなかで、

 

「どれが名作だったか?」ではなく、

 

「好きだったか?」という問いになら、

 

プリンセスプリキュア」を挙げるなあ、と思うのです。

 

なぜならば、

これは、

僕たち、大人たちに向けられた作品だと感じたからです。

 

だって、

主人公のはるかが「プリンセスになりたい」って夢を語ったとき、

誰しもが少しは「え?プリンセス?」って思ったと思うんです。

 

それは、「プリンセスになる」という夢が、

おおよそ現代的な夢ではないという事も理由にありますが、

誰もが「プリンセスになんてなれるわけないだろう」と思うのです。

 

あれ?

これはアニメ内でもよく聞いたセリフですね?

 

もっと、身近な例に置き換えてみます。

 

「わたしはアイドルになりたい」

「そんなのなれるわけないだろう」

 

どうですか?

なんとなく、言いたいことが伝わったでしょうか?

 

たとえば、子どもがこういったとする。

 

「ぼくはメジャーリーガーになりたい」

 

そして誰かが、こう言うのです。

 

「そんなのなれるわけないでしょう」

 

そうです。

 

「そんなのなれるわけないだろう」

 

この言葉は、夢を絶望に変える言葉。

 

夢を絶望に変える言葉を無意識に言ってしまう、

僕たちとディスダークは、おなじなのでは?

 

そんな大人へのメッセージなのでは?

 

そう感じたから書き始めた、

このブログが誰かに届きますように。

 

プリキュアの敵になってしまった大人たちへ」

 

登場人物の情報が知りたい方はこちらを見ると良いかもしれません。

 

youtu.be

 

 

Engage.01 「プリンセスの条件」

 

 それでは、本題にはいっていきましょう。

 

ミス・シャムールが終盤、

はるかも含めみんなをグランプリンセスに認めました。

 

それはなぜでしょう?

 

はるかは、

作中で生まれも容姿も3人には劣っている、と描かれるわけです。

 

もちろん、それは事実として描かれながらも、

それを嘲笑したりする表現が、とても抑えられているのが、

アニメとして私の中でとても好印象でした。

 

元から、

みなみみたく大企業の娘として生まれたわけでも、

きららみたくモデルの娘として生まれたわけでも、

トワみたくプリンセスとして生まれたわけでもありません。

 

しかし、

彼女は自分の環境を恨まずに努力して学園に入り、

みなみと出会って勉学の大切さやバレエを学び、

きらりと出会ってファッションだけではなく、ショーに出るための度胸を得て、

とわと出会いプリンセスの優雅さを学びます。

 

そして、最初の方にプリンセスからは遠く離れていると称されていた彼女も、プリンセスレッスンを通していろいろなことができるようになります。

 

紅茶の淹れ方なんかは特に上達して、

最後はミス・シャムールを唸らせるほどでした。

 

彼女はその理由を

「レッスンが終わってからも、ずーっと練習してたの!」と語りました。

 

思い出してみると、

プリンセスプリキュアの口上は何だったでしょう。

 

「強く・優しく・美しく」です。

 

担当は、

「強く」がはるか、「優しく」がみなみ、「美しく」がきらりです。

 

そう、アニメを見た方なら、ご存知ですよね?

 

「優しく」「美しい」だけではグランプリンセスにはなれません、

「強い」ことも条件なのです。

 

もちろんみなみ、きららも強いのです。

出生や容姿というディスアドバンテージを乗り越えた

その強さがただ、パラメーターとして他の二人より強いということです。

 

そういえば、はるか自身も言っていました。

 

第47話で、はるかが花が美しい訳を語ったセリフです。

「違う……!これは花なんかじゃない。

 きれいに咲くから美しいんじゃない。

 花が美しいのは、土に根を張り、太陽の光に手を伸ばし、寒さに耐え、

 葉を広げ……、そうやって、いつか美しく花を咲かせようと頑張るから。

 自分の力で精一杯努力して……。

 はっ!? 自分の、力で……?」

 

はるかにとっては、夢=花のプリンセスになることなのですが、

ここではそれが夢=花に例えられ、

花が美しく咲くまでの努力を思って、

夢が叶うことにも努力が伴わないといけない、

「自分の力で精いっぱい努力すること」が大切だと述べています。

 

逆にとると、

見る側的に言えば花=夢なので、

じゃあ、「努力しないで夢が叶った人は存在を認められないのか?」

と思われる節もありますが、

最初に「これは花なんかじゃない」と言った時点では、

彼女としては花=花としての認識しかないわけです。

 

忘れられがちではありますが、

彼女はバラ園に咲くバラの種類を、

一目で見分けて名前を諳んじることができるほど、

花に精通し、花を愛していることを忘れてはいけません。

 

彼女の中では花にも意志を認めていて、

花に思いを寄せるうちに自分と重なっていくわけです。

そこで、自分の力で夢を叶えることが重要と気づくわけです。

 

花が美しいのは、努力して咲いたから。

私が夢を叶えたいのは、努力が必要だから。

 

なので、ここは、はるかの意識の移り変わりを読むべきだと思います。

 

もしくは、この後に続く、

 

「違う! 私の夢はこんなプリンセスじゃない!

 何の努力もしないで叶う夢なんて、夢じゃない!」

 

に掛かってくると考えて、

彼女の夢が「花のプリンセス」であることを考えれば、

この花は彼女の夢に限定され、

これは「私の叶えたい夢なんかじゃない!」と読むべきでしょう。

 

 だって、彼女は偽りの夢を出てから、力いっぱい叫びます。

 

「やれることは自分でやりたい!

 そのためにレッスンだってやってきた!

 それが私の夢に!本当のプリンセスにつながっているから!」

 

クローズも負けじと叫びます。

「そうだ、お前の夢なんて本当はどこにもない、

 終わりのない夢をお前は追い続けているんだ!」

 

はるかは、はっとして気付きます。

「終わりがない……。

 そう……、私の夢に終わりなんてないんだ!

 私の夢は大地に咲く花のように強く優しく美しくあること。

 たとえどんな苦しみや悲しみの中にあっても強く優しく美しくあること。

 それが、私がなりたいプリンセス!」

 

どんなに果てしない、誰かが聞いたら

「そんなの叶うわけないだろう」と思われる夢でも、

それに向かって努力することが大事と彼女は気付くわけです。

 

大事なのは、夢そのもの自体ではない。

この気付きは最終回のはるかを救います。

 

さて、端的には「夢よりも努力こそが大事」と言いましたが、

それを裏付ける根拠をもうひとつ書きたいと思います。

 

それは、第38話です。

youtu.be

こういうのは良くないとは思うのですが、

Youtubeにあがってたので、

もうキレイすぎて格好良いのでぜひみてください!

 

この回は、放映当時も作画の美しさから大変話題になりました。

ぜひ、その美しさでは書ききれないので、

動画を見て、感じて。

ロッドを渡すシーンとか最高に格好いい。

 

さて、第38話についてですが、

前話で仲間達が、

それぞれの夢のために、はるかの元を離れるという状況が生まれます。

そして、ディスダークのクローズは、

そこを突いてきます。

 

「夢があれば、お前の大事な人はお前より夢を優先する」

 

はるかはショックを受けるものの、なんとか一人で戦います。

そこで、ボロボロになった彼女を見て、

自分達が救おうとしている

ホープキングダムの王子・カナタが駆け寄ってこう言います。

 

「夢をもっていれば君は傷つく。

 プリンセスプリキュアとして、戦わなければならない。

 そんなことなら、夢なんて必要ない。

 夢なんて、持つな!」

 

カナタは記憶喪失になっていたというのもあり、

ボロボロになる彼女を気遣う優しさあってのことでもあったのでしょう。

 

しかしながら、自分の夢をいままで肯定してくれたカナタが

言った言葉のダメージは、はかりしれません。

 

でも、彼女は立ち上がりました。

そのときに、幼い自分に言った言葉が、

本当に彼女らしいと思うのです。

 

「ありがとう。あなたが夢見てくれたおかげで、

 わたし、こんなにもいま、幸せだよ。」

 

はるかは、くじけた時には絶対自分の力で起き上がります。

 

よくあるアニメの展開で、

くじけそうな時に、今までを思い出すって構造あるじゃないですか。

 

大抵、回想のなかでは、

仲間の話になって「みんなのために頑張らなきゃ!」とか、

世界の話になって「自分が諦めたら世界が危ない!」ってなるわけです。

でも、はるかはそうじゃない。

 

「自分で頑張ってきたよね!」って自分の軌跡を思い出すんです。

 

もちろん、それだけじゃないのがはるかのすごいところで、

 

「みんながいたから、立ち上がれるわたしがいるの!」と、

 

アニメのなかでも言っているように、

カナタや、みなみやきららやトワ、色々な人の助けを認めつつ、

彼女には自分で歩いてきたという自信があるわけです。

 

花は、

種をまくひとがいて、

海が運ぶ蒸気が雲になり雨を降らせ優しく地面を癒し、

星は芽吹く前の種にいつかそのうち輝く同士として見守り、

明るい太陽が目標のように誘い、

いつしか花は太陽にも負けないほどの大輪の花を咲かせます。

 

もちろんどれが欠けても、美しく咲くことは出来ません。

しかし、一番大切なのは花自身の咲こうとする命の力強さ、その意志です。

 

自然界では、花は自然に咲くといわれます。

でも、必ず地面に落ちた種が花を咲かせる訳ではありません。

遠くへ飛べるように進化した種や、

何者かの力を借りれるように進化した種がいます。

また、長い歴史の中で淘汰され、亡くなっていった種も存在するでしょう。

その時、必要なのは変わり続ける勇気、進化する心構えではないでしょうか。

 

はるかも一緒です。

カナタがいて、

ゆいがいて、

みなみがいて、

きららがいて、

トワがいる。

 

みんなの助けが無ければ出来ないことも沢山あったけれど、

1番は彼女が夢のために諦めずに努力、成長し変わり続けることができること。

だからこそ、美しく咲き誇ることができました。

そうです、彼女の魅力は変わり続ける「強さ」です。

その「強さ」は彼女自身が持ち合わせたものです。

 

それが彼女が強く持ちえた

「プリンセスの条件」でしょう。

FF14 ソウルサレンダーメインストーリー妄想

 

明日、FF14のパッチがくるという事で、

トレーラーも見てないのに妄想だけで物語を作ってしまいました。

 

ヤシュトラ「そういうことだったのね。私たちが倒した蛮神の分だけ、エーテルがこの世界に溜まっていく、ということね」

 

ウリエンジェ「そうだ。然すれば、アシエンらは労せずテンパードが呼び出した蛮神、それを倒す光の戦士、という世界の装置からいいようにエーテルを貯める方法を抜き出したというわけだ」

 

(CFという制度、蛮神周回をするプレイヤーもぞくっとする)

 

闇の戦士「この俺たちが……、アシエンのいいように使われていたとはな……!

利用していたつもりが相手の方が1枚上手だったということか……

 

そうか……、そうなんだな。
かつて俺たちはハイデリンに愛されていると思っていた。

 

いや、正確には
蛮神を倒すことのできる自分たちは、
それ以上の何かではないかと思っていたに違いない……

 

そうして、かつてのテンパードたちのようにどんどんと麻痺していく、
蛮神への崇拝のように、自らの強さに崇拝していく、そして弱者を切り捨てて、孤独になっていった……。

 

そして、世界を救えると本当に信じていた。

しかし、自分たちが強くなれば、強くなるほど、争いは向こうからやってくる。

終わりのない戦いに疲れ、ハイデリンに絶望し、どうして自分たちばかりこんな辛い目にあうのかと世界を恨んだ。


絶望が俺たちの身体を蝕み、いつしか俺たちは絶望という大きな蛮神のテンパードになっていたんだな……。

神を殺して神になったつもりでいたのに、
その結果がテンパードか……。


お前も傷ついたろう。
大好きな人を守りたいと思うほど、大好きな人を失うこともあったろう。
(オルシュファンやイデルの映像)


だが、絶望しなかった。
孤独になろうとしなかった。

 

きっと、俺たちは、
お前がいくらあがこうと、絶望からは逃れられない。
そうやって、諦めさせるために、
俺たちと同じように、
ハイデリンを憎み、
孤独になり、
自分たちだけを信じるように……。


光の戦士を絶望させて、闇の戦士にする。


そしてまた、光の戦士を絶望させるための駒となり、
ひいては効率的に莫大なエーテルを集めるための装置に組み込まれていくーー。
そんな、歯車になろうとしていたのだな。


でも、
光の戦士、お前は違ったな。
いや、お前が俺たちを救ってくれたんだ。

 

傷ついても、
その手を離そうとしなかった。
(エスティニアンの映像)

 

強いことが正しいのだと思っていた。
超える力を持ち、
強ければ、自分たちだけでも、
世界を救えると。

 

そうではないんだな。
お前の超える力は、
”人と人の垣根を超える力”
なんだろうな。

 

俺たちが救うんじゃない
みんなが変わっていくんだ。

(光の戦士の周りにいるヤシュトラらのメンバーを見て)


ラウバーン「三国を統一する機会を与えてくれたのも」(盟主3人の映像)

ヤシュトラ「私たち暁の血盟に来たのも」

ウリエンジェ「多くの民を蛮神から救ったのも」

シド「果てない夢を本気で追いかけてくれたのも」

ユウギリ「我らドマの民を受け入れてくれたのも」

ピピン「そして、父の命を救ってくれたのも」

アイメリク「長き冬に閉ざされたイシュガルドに春をもたらしたのも」

フォルタン家の次男「俺たちが変わる勇気をくれたのも」

サンクレッド「そして、希望を失わずに済んだ」(ミンフィリアの映像)

イダとパパリモ「私たちが集う、灯火(みちしるべ)となってくれた」

アルフィノ「一緒に、友を……、救った」

 

ククル「英雄・光の戦士がどんな人か、私たちは知らない。」

 


「「「でも、私/俺/僕たちが一緒にあるいてきたのは」」」


「「「君/お前/あなただった」」」


アルフィノ「今度は僕たちが守る番だ」


「「「希望の灯火は絶対に消させない」」」


闇の戦士「これが、女神ソフィアのクリスタルだ……
光の戦士、俺たちが救えなかった世界を救ってくれ。
俺たちの魂を継いでーーーーー。」


FF14 3.4 アップデート
ソウルサレンダー
ー 魂を継ぐ者 ー

【FF14かんたん考察】希望の灯火はイシュガルドの雪を溶かすか

FF14に復帰しました(今更)

 

※これはメインクエスト「蒼天のイシュガルド」時点で休止した時に書いたものであり、現時点でどのような展開になっているのかは加味されておりませんのであしからず。

 

 

あなたが守ってくれた希望の灯火は、

もう一度、世界を救うために歩み始めました。

 

 

 誰にとってもオルシュファンは特別な人だろうけれど、もう少しだけ考えてみたい。

さて、そもそも彼が何故クルザスなんて辺境の地に居たのか。

それは彼の出生にあり、彼が愛人の子として産まれたからだろう。

彼の幼少期が辛いものであったことは想像に難くない。

しかし、彼は誰よりもイシュガルドの騎士らしく育ち、人望を集めるような人間に育ってしまった。それはフォルタン家の嫡子サイドから見たら嬉しくない話だろう。

そこで、クルザスに送られたのだと思う。それは父親の愛だったと思うのだ。

このままイシュガルドに居ては殺される危険すらある。だからこそ、エオルゼアに送ることで、彼を救ったのだと考えたい。そう思えばこそ、オルシュファンを失ったときのフォルタン卿の悲しみたるや。

さて、クルザスの任についた彼はといえば。

クルザス自身は辺境の地でありながら、

エオルゼア、イシュガルド両国から注目される最前線である。

特に鎖国してしまっているイシュガルドはまだしも、エオルゼアからは常に監視すべき地点に違いない。

しかし、彼はエオルゼアからも悪く思われない程度に友好関係を気づいている。

ここは彼の大きな功績と言えるだろう。

エオルゼアとイシュガルドは彼の両腕が結びつけることで辛うじて完全な断絶を免れていたといっても過言ではない。

 

あんな辺境の地に飛ばされても頑張っていて、あの橋を護りつづけた。彼がいなければイシュガルドとの国交も、平和もありえなかった。

希望の灯が燃え続けられたのは、

あなたが主人公を、

エオルゼアの反逆者として追われ暴風雨のように吹き荒れる波乱から

全くの部外者で歓迎されていない冷たい雪のようなイシュガルドの民の目線から

守ってくれて、まさにかまくらのように雪の家と言ってくれたからだ。

イシュガルドにエオルゼア側の人間をいれるなんて、

それもエオルゼアの反逆者で、なにがあるか分からないのに。

僕たちには「光の戦士」や「暁」、そんな肩書きでなく、信じてくれる人が欲しかった。

消えそうになった小さな灯火を手の中にいれて、火傷する覚悟で助けてくれた。

 

 

さて、

多くの人が疑問に思っていた、件のシーンであるが、

ナイツオブラウンドの彼の攻撃はたぶん「誰かを倒そう」という意思がそこまでなかったのではないか、と仮定しよう。

それは何故か。

彼らは自分たちが勝つ事をほぼ疑ってないし、それほどの自信がある。

それを裏付けする竜詩戦争の歴史があるからだ。

それもすぐ飛び立とうとしている飛空艇というタイムリミットがある。

飛び立ってしまえば、今すぐ足が用意できない光の戦士たちは追うことが出来ない。

それにアジスラーは強固なバリアに覆われている。突破できるはずがない。

突破できたところで、その間には迎撃の準備もできるだろう。

だからこそ、これは足止めにすぎない。

 

オルシュファンは瞬時に判断する。

突き飛ばした場合、必ず避けられるとは限らない。相手は2回目の攻撃をするかもしれない。

盾で受ければ、光の戦士は助けられる。何とか受けきれば自分も大事にならずに済む可能性がある。そのうえ相手の時間稼ぎという題目を果たすことが出来る。

 

もし、前に出たのが光の戦士じゃなければ、もしかしたら彼も上手く立ち回れたかもしれない。

前には教皇
後ろからの攻撃。

相手にはさまれており、一番攻撃を受けやすい位置にいるのは光の戦士だった。

この友を守るために。

 

でも光の戦士はきっとそれが悔やんでも悔やみきれないと思う。

自分を守るためにまた友人を失ってしまうことを止めることが出来ない。

かまくらはいつか崩れるものかもしれないけど、希望の灯が溶かしてしまうとは思いもよらないだろう。

 

 でも「それでもイイ」って言ってくれた。

雪が溶ければ春が来るから。 

 

貴族と平民の身に生まれた彼は、

イシュガルドとエオルゼアの境界で、

選ばれし者とそうでないものの狭間として描かれたキャラだった。

いつでも死ぬ準備は出来ていた。

 

これがオルシュファンの物語。

 

 

誰も信じることが出来なくなり、冷たさに震える光の戦士には、

彼が入れてくれた 暖かい一杯のお茶が心を癒しただろう。

そういえば、フォルタン家の家門は、一角獣がモチーフですね。

一角獣といえばユニコーン、FFでは癒しの幻獣として有名です。

 

オルシュファンの死に傷ついた全ての光の戦士の傷が癒えますように。

 

P.S

イデルもシヴァの化身。

氷の召喚獣なんですよね。

また、かつての竜の一族が滅びたのが隕石がもたらした粒子による

長い冬のせい、だとすれば、

寒さ溢れる場所にはドラゴンの安息は訪れない。

 

そんな雪と氷を希望の灯火が溶かして、

やっと竜と人の氷河期が終わり、暁が来る。

竜詩戦争の終結といえるのかなあ、と思いました。

 

Twitterまとめ① おしり用ねんど

絵師もすなるlogまとめといふものを、私もしてみむとてするなり。

 

Pixivに絵師さんが落書きまとめて更新と呼ぶなら

私もツイッターまとめたら、ブログ更新できるんじゃない!?という甘えた根性。

手直ししてるので、これって週刊誌の連載作がコミック化するようなものだから。

 

 

越してきた当初からベランダに植木鉢があった。

ブチブチブチィッ!!!!

いちらく「これ雑草」

いちこ「え」

いちらく「なんの草なんだろうね」

いちこ「(こっちが聞きてぇ~……)」

 

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