いちこの週刊爆心地

「遅いな~、王子様。8年早く着きすぎちゃったかな~?」

メグとばけもの


「本当にうまく飛びますかね…」

後輩の不安そうな声につられて、私は窓の外に目を向けた。
そこにはガラス窓から見切れるほどの大きなロケットがある。

その周りでは、せわしなく点検をする人間の作業員に混じって、
ひとり目が合った魔物の作業員は腕で大きく丸印を作り、私も手を振って応える。

ここ10年ほどで世界の様子はすごく変わり、
隔てられていた地下の世界と私たちの世界は交わり、
魔物と人間は小さな問題を抱えつつも、うまくやっていた。

ただロケットが好き、という気持ちだけで走り抜けてきた私は、
やっと自分が関わったプロジェクトが佳境を迎えたことに、
安堵と小さな不安を感じていた。

「大丈夫だよ、いろんなすごーい人が関わってくれているし、
 あなたも自信を持って」

後輩にお茶を入れながら、クスクスと昔のことを思い出して笑う。

「…元気かな、ゴラン」
「何かいいましたか?」
「…ううん、なんでもない。
 今日の工程は問題なさそうだから、今日は早く帰るね」
「えっ? 今日の宇宙飛行士の発表、気にならないんですか?」
 自分たちの我が子に乗る人ですよ!?」
「気にならなーい。どんな人でも全力を尽くすのは変わらないもん」

引き止める後輩の声をよそに、職場を後にした私は、
夕暮れで長い長い影を落とす"我が子"を見上げる。

――ロケットは縦に飛ぶんだよ。
――こうか?
――そう!

 

「すみませーーん!!」

物思いにふけりながら歩いていたので、
呼びかけられ、ふと我に返る。

つま先に転がってきたのはサッカーボール。
その向こうには息を切らせて小さな魔物の子どもが走り寄ろうとしていた。

「待って!」

バッと手を前に出して、その子を静止させる。
キョトンとした顔の子に向かって笑ってみせ、
ボールをその子のほうに向かって蹴り出す。

気合を入れすぎたせいか、子どもの頃と感覚が違ったせいもあって、
ボールはその子の横をすごい速さで通り抜けていく。

「ごめんなさい!」
「お姉さん、すごーい!」

子どもはキャッキャッと笑ってくれたが、
恥ずかしさに顔が赤くなる。

自分の失態を取り戻そうとボールを追いかけると、
ボールがこっちに向かって戻ってくる。

子どもも受け取れるような優しいキックだ。

「――あ、ありがとうございま――…」

ボールを手で持ち上げてお礼を言おうとしたとき、息が詰まった。
大きな体に特徴的な腕、不機嫌に見える顔立ちも、あの頃のままで。

「……」

彼の顔を見たまま、硬直してしまう。

何度も何度も想像した。 いつかまた再会できる日のこと。
もう一度会えたら、どんな話をしよう。
あの時の思い出話を、別れてからのことを、そして今のことを。

「…あ? オレのこと知ってるのかよ」

でも、私だって思い出は

画用紙にクレヨンで描いた絵のようにかすれてしまって、
思い出せないことも増えていっている。
だから、思い出を「こうあってほしい」という形に都合よく変えていた。

きっともう一度出会えたら、忘れていたとしても思い出してくれるだろうと。


じわりと彼の顔がにじんでいく。
目頭が熱くなって、胸が痛くてどうしようもなくなる。

でも、彼は彼で今の人生を歩んでいるはずだし、
泣いてすがるわけにはいかない、
もう私は、子どもではないのだから。

小さく頭を下げて、足早にその場を立ち去ろうとした、
大きな体がこっちを向いたような気がしたけど、
たぶん私の都合のいい想像に違いない。

 

外をじゅうぶん歩いて涙を引っ込ませたあとは、
気分転換もかねていつもの終業時間では寄れないところを巡ることにした。

「…なつかしい、まだ人気なんだね」

こうしてあの絵本を広げているということは、

やっぱり感傷に浸りたいのかもしれない。
ずうっと彼の思い出を胸に頑張ってきたのだ。
きっとそれぐらいは許されるだろう。

「その絵本…」

うそだ、と思った。 けれども、同時に彼であってほしいとも思った。

「…また会いましたね」

うまく笑えただろうか、泣いていないことを褒められたままの私でいたいから。

「すまん、ついてきたわけじゃなくて…」
「大丈夫です。疑ってませんよ、この絵本にご興味が?」
「…昔 ダチにその絵本のバケモノに似てるといわれたことがあんだよ」

お別れした日からずうっと泣かないと決めていた。
「忘れない」と決めた日から、もう一度会えますようにと願いを掛けて。

いざ会ってしまったら、覚えていないことがこんなにつらい。
嫌いだといわれて、喧嘩別れするのとどっちがつらいのだろう。

思わず涙をこらえられずに崩れ落ちる私を見て、
大きな体をオロオロとさせながら、彼はこういった。

「お おい、泣くなよ。おまえが泣くと、

オレはなんかどうしたらいいかわからなくなるんだ」

その言葉を聞いて、私はもっともっと泣いた。
蓋をして止めていたぶん、ずっとずっと泣いた。

 

「ねえ、もう下ろしていいよ、重いでしょう」

泣き疲れて前後不覚になっていた私は気が付くと、彼におんぶされていた。
恥ずかしさと思い出に泣きそうになるのをこらえて、何度かこう言っているのに、無視され続けている。

年甲斐もなくびゃあびゃあ泣いて動けない私を目の前にして
書店員に不審そうに見られ、逃げ出すように店を後にしたそうだから、
私に文句をいう権利はないのだろうけど。

日はだんだんと沈み、夜も深まってきている。
何か予定はなかっただろうか、と申し訳なく思いながら、
彼の背中に揺られていた。


「アレ、かーっこいいよな」

彼が見上げた先には大きな大きなロケット。

「…そうですね」

「俺、今度アレに乗るんだ」

「えっ?」

――そうだ、今回ははじめての魔物の宇宙飛行士が選ばれると聞いた。

「キレイなオホシサマとオツキサマを見に行くんだ」

「いいですね、もっともっと近くで見れますね」

「そうだ、俺がいた世界より、ここよりもだ」

あんなに泣いたのに、まだ涙が溢れる。
子どもの頃のほうがよっぽど我慢が出来ていた気がする。

彼は私が後ろにいてくれたから胸が張れるといってくれたけど、
私だってそうだ、彼がいたから泣かずに済んでいたのだ。
ずっと優しく名前を呼んでくれたから。


「ありがとう、あのロケットを作ってくれたのはおまえなんだろう、メグ」

「どうして…」

「思い出したんだ、でも忘れるわけもなかった。
 おまえがオレに教えてくれたサビシーって気持ち。
 それがお前にあったらパーッとなくなって…」

あの日、彼が言ってくれたのだ。
覚えてなくても、出会った意味があったと。

「泣いてるの?」

「うるせー、おまえが一番泣いてただろうが…」

「泣いてないもん…」

「はは、それになんだろうなこの気持ちは…」

鼻を啜りながら涙で濡れた声でしゃべる声を聞いて、
私はトランプで同じ柄を当てた時のように、
パッとその気持ちに見当がついた。

「教えてあげる。 ロイ、それはね――…」